浄土宗増上山大願寺は、慶長8年(1603年)に、今の仙台市立町に京都出身の実蓮社良盛格外和尚が増上山正雲院三縁寺を開山しました。寛永13年(1636年)に伊達政宗公の葬儀がこの地(現在の大願寺の敷地)で行なわれ、棺が焼却されて灰塚が造られました。
このとき灰塚の土地を寺領地にと願い出て、寺名を大願寺と改め、本堂を建立しました。
大願寺の山門は、四代藩主綱村公夫人仙姫(萬寿院)の霊廟のあった、萬寿寺の門を移築したものです。山門から入って右側に、仙台三十三観音の第七番札所である観音堂があります。
大願寺は過去の二度にわたる火災のため、本堂をはじめほとんどの仏具を失いましたが、境内の観音堂だけは残り、今日に至りました。行基または弘法の作といわれる、高さ120センチの木造聖観音立像が安置されています。
(以前は北六番丁の薬本寺にあったとされ、後に大願寺へ移りました)